こんにちは。
今日は18年前に「阪神淡路大震災」が起きた日でした。
黙とうしたり、心の中で手を合わせたりした方も多いのではないでしょうか。
18年前、私は東京で一人暮らしをしていました。早朝、とてもとてもゆっくりな、気持ち悪い感じのする揺れに目を覚ましました。「これはどこかとても遠いところですごく大きな地震が起きている」と思いました。そして、テレビで煙の立ちのぼる朝日の中の神戸の姿を目にしました。「これは、同じ日本の、同じ時間を映しているのか」と信じられない思いでした。
テレビで伝えられる情報にくぎ付けになりながらも、私はその日普段通りにバイトに行きました。バイト先でも地震の話でもちきりでした。社員の人がどんどん増えていく犠牲者の数字を時々教えてくれました。いっぺんに亡くなる人数として自分の中で理解しきれない人数でした。ただただとんでもないことが起きたと思いました。何が起きているのか知りたくてたくさん情報に触れ、募金をしたりはしましたが、でも、私の普段通りの生活は続きました。
東日本大震災が起き、原発事故が起き、私はその6日後に飛行機で福島を離れました。到着した福島から遠く離れた街は普段通りで、みんなおしゃれをして何事もなかったように見えました。ずっとお風呂にも入れず、とてもきれいとは言えない状態でその街の中に立ち、何とも言えない孤立感を感じたり、飛行機に乗る前風景とのギャップにショックを受けていたのですが、今思うと、自分も同じだったな…と思います。
阪神淡路大震災の3年後、仕事で神戸に1か月滞在しました。そこで見た神戸の街はきれいで、3年前にテレビで見た街と目の前の街がなかなか一致しませんでした。でも、乗ったタクシーの運転手さんは震災当時の話をずっとしていました。それを聞きながら「そうだ、やっぱり、ここで震災は本当にあったのだ」とやっと感じることができました。世間的には3年たって、たいぶ復興しているという認識だったでしょうか。私もそんな認識だったのだと思います。でも、心は街の復興のようには行っていなかったのかもしれません。今は、話さずにいられなかった運転手さんの気持ちが分かる気がします。
自分が被災者、避難者になって、「知識や情報で知る」だけでない、「心で分かる」ということがやっと出来るようになった気がします。今までの「分かったつもり」でいたことが申し訳ない気持ちになることも多々あります。そして、東日本大震災や原発事故で被災したり、避難したりした人へ、今も変わらず心を寄せ続けたり、ボランティア活動をされている方の強い気持ちはすごいことだなと思うと同時にとてもありがたいことだと思っています。
18年前からの経験の積み重ねが今、役立てられていると聞きます。3.11の後、全国からたくさんの善意が寄せられましたが、神戸や新潟など被災したことのある自治体の取り組みは特に素早く、具体的なものがあったとも聞いています。今はまだ自分たちの避難生活で手一杯ですが、今の経験や気づきを活かし、今受けているご恩をいつかどこかで返せればと思います。
<ささ>