2013年1月に投稿された記事の一覧です。
こんにちは。
広島市内はインフルエンザがすごく流行っているようです。
我が家も二人の子供がいっぺんにかかってしまい、今週いっぱいおうちにお籠りです
母子避難だとこういう時に身動きがとりにくく苦労します。
今回、子ども二人がインフルだと知った避難仲間が「欲しいものがあったら、買って持っていくから何でも言って!」とすぐに連絡をくれました。
我が家はたまたま、発症した日に先週頼んだ宅配が届いたり、小児科がスーパーのすぐ近くで小児科に行ったついでに買い物ができたから、今回はヘルプは頼まず大丈夫だったけど、こういう声掛けがあるだけでとっても心強い。
避難するようなことがなかったら出会わなかった人と知り合えて、いろんな話をして、支え合ってとても不思議な縁だけど、とってもありがたいご縁だなぁと思います。
その一方で、今も孤立している避難者の人がいるのではないかということも気になります。
心細く生活していないかと心配です。
どうか「アスチカ」がそんな人たちとこれからも繋がっていけますように…と思います。
<ささ>
こんにちは。
今日は18年前に「阪神淡路大震災」が起きた日でした。
黙とうしたり、心の中で手を合わせたりした方も多いのではないでしょうか。
18年前、私は東京で一人暮らしをしていました。早朝、とてもとてもゆっくりな、気持ち悪い感じのする揺れに目を覚ましました。「これはどこかとても遠いところですごく大きな地震が起きている」と思いました。そして、テレビで煙の立ちのぼる朝日の中の神戸の姿を目にしました。「これは、同じ日本の、同じ時間を映しているのか」と信じられない思いでした。
テレビで伝えられる情報にくぎ付けになりながらも、私はその日普段通りにバイトに行きました。バイト先でも地震の話でもちきりでした。社員の人がどんどん増えていく犠牲者の数字を時々教えてくれました。いっぺんに亡くなる人数として自分の中で理解しきれない人数でした。ただただとんでもないことが起きたと思いました。何が起きているのか知りたくてたくさん情報に触れ、募金をしたりはしましたが、でも、私の普段通りの生活は続きました。
東日本大震災が起き、原発事故が起き、私はその6日後に飛行機で福島を離れました。到着した福島から遠く離れた街は普段通りで、みんなおしゃれをして何事もなかったように見えました。ずっとお風呂にも入れず、とてもきれいとは言えない状態でその街の中に立ち、何とも言えない孤立感を感じたり、飛行機に乗る前風景とのギャップにショックを受けていたのですが、今思うと、自分も同じだったな…と思います。
阪神淡路大震災の3年後、仕事で神戸に1か月滞在しました。そこで見た神戸の街はきれいで、3年前にテレビで見た街と目の前の街がなかなか一致しませんでした。でも、乗ったタクシーの運転手さんは震災当時の話をずっとしていました。それを聞きながら「そうだ、やっぱり、ここで震災は本当にあったのだ」とやっと感じることができました。世間的には3年たって、たいぶ復興しているという認識だったでしょうか。私もそんな認識だったのだと思います。でも、心は街の復興のようには行っていなかったのかもしれません。今は、話さずにいられなかった運転手さんの気持ちが分かる気がします。
自分が被災者、避難者になって、「知識や情報で知る」だけでない、「心で分かる」ということがやっと出来るようになった気がします。今までの「分かったつもり」でいたことが申し訳ない気持ちになることも多々あります。そして、東日本大震災や原発事故で被災したり、避難したりした人へ、今も変わらず心を寄せ続けたり、ボランティア活動をされている方の強い気持ちはすごいことだなと思うと同時にとてもありがたいことだと思っています。
18年前からの経験の積み重ねが今、役立てられていると聞きます。3.11の後、全国からたくさんの善意が寄せられましたが、神戸や新潟など被災したことのある自治体の取り組みは特に素早く、具体的なものがあったとも聞いています。今はまだ自分たちの避難生活で手一杯ですが、今の経験や気づきを活かし、今受けているご恩をいつかどこかで返せればと思います。
<ささ>
こんにちは。
昨日、広島でも地震がありました。
広島市内北部が震源で、一瞬グラッと揺れただけの、ド突かれたみたいな奇妙な揺れ方でしたね。
震度自体は大きくなかったのですが、3.11以降揺れるたびに
「このまま大きな揺れになるのではないか?」「次に大きな揺れが来るのではないか?」
という怖さを感じるようになってしまいました。みなさんは(精神的に)大丈夫でしたか?
さて、1月5日(土)に今年最初の交流カフェを行いました。
参加者は初参加の方が7名も!来てくださり、16世帯(大人18名・子供4名)。
ボランティアの方にサプライズでぜんざいを振る舞っていただき、お正月らしさも味わえる会でした。
今回は関東からの参加者も多く、
福島県以外から原発事故を理由に避難していることがなかなか理解してもらえないなどの悩みを打ち明けておられました。
同じ立場の方は同じ思いの避難者と知り合えたことを喜び、また違う立場での避難者の方は自分とは違う悩みがあることを知ることができたことと思います。
会が終わった後、参加者で連絡先の交換をする姿もたくさん見られ、アスチカの役目のひとつ「同じ思いの仲間を見つける場となる」ということが少し果たせたのかなと思いました。
避難者と一口に言っても、避難の理由は地震・津波・原発事故とさまざまです。その思いもさまざまでしょう。大変さもそれぞれに違うと思います。
どんな思いであれ、その思いを安心して口してもらえる場でありたいと思います。
その違いをお互いに知り合い、お互いを思いやり、支え合っていくことをこれからも目指していきたいと思います。
<ささ>
明けましておめでとうございます
広島はキリリと寒い朝でしたが、きれいな青空の広がる年明けでした。
みなさんはどこで新年を迎えられましたか?
今年はどんな一年になるでしょうか?
皆さんにとって素敵な一年になることを祈念いたします。
そして、広島で避難生活を送る皆さんの毎日が少しでも落ち着いたものとなるよう「アスチカ」は活動をしていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
まずは今年最初の交流カフェが今週末に予定されています。詳細は → ☆
まだ申込みされていない方でも、「やっぱり行きたい!」と思った方はお越しくださいね。
<事務局>